ShortCircuit, must Go on.

もしかして日本は、千載一遇の好機を逃したのではないだろうか。

「AKIRA」見てて、直接は関係ないけど去年のオリンピックのときの気持ちを思い出した。

あのとき「どうせ無観客なら、客席にASIMOでも並べとけば?(笑)」なんて冗談で思いついてから、ずっと考えていた。そのASIMOが「アバター」なら?

ロボットの身体で国立競技場の指定席に付き、ロボットのカメラを通じて競技を観る。家でテレビを観てるのと全く同じ映像だとしても、「味」は変わってくるんじゃないか。その味を楽しむのって日本人の得意なところなんじゃないか。

なんなら競技開始時間に合わせて家の最寄り駅から電車に乗って国立競技場へ、景色を見ながらてくてく歩く道のり全部をロボットで体験する、そんなほんと無意味な使い方。あ、でも競技場で隣に座った見知らぬ他人(他ロボット)と情報交換できて仲良くなれたら無意味じゃないな。あーでもそれはSNSでできることか。根本的に違うけど似たようなこと、か。やっぱりまとまらないな。

そもそも実現するのにはいろいろ問題あると思うんだけど、見てみたいと思ったのだ。国立競技場を埋め尽くすASIMO(ASIMOじゃなくてもいいけど。むしろこの役はOriHimeだな)。その向こうに何万人もの個々の生身の精神があり、借り物であっても物理的な自分の視線で観戦し、選手のプレーにリアクションを返すこともできる。選手のモチベーションだって上がるんじゃない?

単純に技術的なことなら実現可能だろう。そして実現するとなれば、今の日本という国はひょっとしたら世界一うまくやれるんじゃないのか。そんなタイミングだったんじゃないか。

まあ、素人が好き放題言ってるだけ。ほんとのところの技術レベルなんて知らないし、技術以前に解決しなきゃいけない問題も理解してないし理解したとして一個も解決できないしそもそもこれが世界の祭典として好まれるものかわからない。でも見たい。

それは「守り、伝えていく素晴らしいもの」としてではなく「この時この場所でしか実現しえなかったとんでもないもの」であったかもしれないし「私たちのこれからを大きく変えていくもの」であったかもしれないと、思うので。

蛇足だが、あのオリンピックに否定的な気持ちはあまりない。めちゃくちゃ損した人がいないといいなー、くらいで。開催のために心を砕きまくった方々が大勢いて、この情勢下で開催できたことはやっぱり奇跡のようなことだと思っていて、生きてる間に「東京オリンピック」が見れたことはナショナリズム皆無の私の脳にもキッチリ刻まれたのだ。基本的には感謝である。

それが善なのかそうでないのかはどうせわからないけど、とひねくれた私は言うのだが。