INVINCIBLE TWO /機動戦士Gundam GQuuuuuuX
ジークアクスの最終回を観て、結局、書いてみたくなった。他にも書きたいことあるのに、三タテ。自分で言ったがやはり、前回とは芯の部分が変わってしまったので。
最終回テレビ放映を観て、放心して、考えて、寝て起きて仕事して、ネットを漁って、サブスク配信でまた観て、考えて、ネットを漁って、また観て。の繰り返しで数日過ぎた。
まず、こんなに他人の考察や感想を読みまくったアニメはない。他説を読み漁り出典にあたり自説に沿う流れを見つけブラッシュアップそしてマッシュアップ…論文書くときの勢いだ。それが楽しいアニメだった。どちらかといえばSNSで盛り上がるみたいなの苦手な私にとっては「引きずり込まれてしまった」という感覚。これが沼かね。楽しい。
そしてもうひとつ。物語を読む/観るとき、自分が何を求めるのかについて学ばせてもらったように思う。学んだというかより明確になったというか。
具体的な感想はよしておく。ネット上に星の数ほどあるしまだ増えるだろう。私にしか書けぬことなどない。アニメーションのクオリティは最高だし展開は激アツだし伏線回収しかし想像に任され部分は任されのままにそれでも大団円。泣いた。『最後はどうなってもハッピーエンディング』染みる。
だからあとはなんとなく所感。備忘録さね。
前回書いてから、少し批判的、悲観的に書いてしまったけどたぶん私はこのアニメがかなり好きなんだよなって思った。のでどう表現したらいいのか考えてた。最終回を観て少し補完された。
私にとってこのアニメは幕の内弁当みたいだった。
超豪華超ボリュームの幕の内弁当。そしてそれを…3分で食えと言われている!!
私は現在腹パンパンでゲフーとなりながら「超うまかったけどなんでなん?」とひとりごちている。
詰め込みすぎ。まさに幕の内弁当。それぞれみんな大好きな料理を多種多様、アレンジ加えながらこれでもかこれでもかと。これだけのものをひとつの箱に詰め込んで調和させた力量はまこと恐るべきものだ。
そして「3分で食え(12話で終わらせる)」というのも演出の手のうち。リアルタイムで盛り上がることの意義、早食い大食いのフードファイトのような視聴感。祭りだった。
そしてそれをあえて「幕の内弁当」と評したマイナスの理由が、ある。
最大公約数、みんなが知っててみんなが好きな料理たちで、できている。とても美味しく満足感がありけれども、料理そのものには新しさがない、冒険がない、ように感じた。
私は「誰も見たことがない料理」を欲しているのだろう。それが何なのかもわからないのに。自分で創り出すことなどできないのに。それでもやっぱり、だからこそ。
それでずっとぐるぐるしてる。こんだけアレンジしてリファインして完璧に並べて見せたらそれもう「誰も見たことないまったく新しい幕の内弁当」だろ違うのかと。わからない。それでずっとぐるぐるしてる。
そしてもうひとつ、この例え話がしっくりきたところがあって。
「箱が普通」なんじゃないかと思った。
超豪華幕の内弁当、盛り上がりフードファイトイベント、にしては、弁当箱が、普通。
これは設定、前回書いた並行宇宙設定のこと。
特異体質と特殊な装置が、並行世界の創造と干渉を可能にする。激しい悲しみの感情の波動によって。創られ続けるパラレルワールドでまた悲劇は繰り返され続け、そのループから抜け出す方法を探し続ける。彼女の悲しみを終わらせるために。そして、今度こそ、この世界が。
たぶんこれは、食材と調理法(これまで積み重ねられてきたガンダム世界の設定や理念)ではなく、言うなれば今回の容れ物、箱なんじゃないかと。
箱が凡庸な気がする。今ではわりとよくある器。
そう考えることで同時に「そこはそんなに重要ポイントじゃないと考える人」がいることにも納得いくのでよい例えなんじゃないかと…。私は今回に関してはこの容れ物にこだわってしまっているみたい。すごい箱が見たい。豪華な漆塗の三段重箱か、そうじゃないならもう見たことない形の弁当箱で。こんぺいとう型とかな。
ああでももしかすると、箱の例えと中身の例えは人によって逆転するのかもしれない…言い出しといてまとめきれねえな。
まあこんなところ。考え続けて振り回されてる時点でもうこれは「好きってことさ」なわけだよ。あのエンディングを忘れないし、また観るし、他のガンダムを学ぶし、そしてまた観るし。しっかりと刻まれた。感謝。
ちなみに私は続編もスピンオフもいらない派だ。…あーでもゲームなんかでママ魔女とドゥー見れたらうれしいだろうなー。…ブレブレだ。