フェノミナ・デベロパ。/『メイクアガール』
映画をもう1本。
『メイクアガール』。
安田現象さん監督。
ここまでの流れがどう凝縮して結実して、そしてこれからどうなっていくのか。それが見たかった。私が見たとてどうなるものでもないと、わかっていても。
安田現象さんはYouTubeとかインスタとかで活躍中のアニメーションクリエイターだ。
(媒体とか肩書とか所感だ。本当はどうかとかご本人はどう思ってるかとか、わからぬ)
この人のつくるショート動画を、いつからか楽しみにしていた。
CGの美しさと、CGゆえの違和感をも味方につけるような繊細さ。短い中にもSFチックだったりファンタジックだったりダイナミックだったりペシミスティックだったりするその物語。
見ている私は勝手に感じ入る。根底に流れるのはたぶん、万物への愛のようなもの。この人は世界を愛していて、それをこういう形で表現するのだ。その上で、形はそれぞれで誰にでもできることなんだよと、語りかけられているような。きっと優しくて優しすぎておかしな人なんだろうなと、勝手に思う。
そしていつのまにかこの人、プロジェクトを立ち上げスタジオをつくり、1本映画をつくりあげていた。それは観るだろ。だから心待ちにしていた、のだ。こんなに見えない相手は久しぶりだ。怖い。自分の期待が怖い。
観てみて。
期待を超えた。
正直心配していた。なにかこう、おとなしい、品の良い、誰にでも美味しい80点の料理が出てくるんじゃないかと。
そんなことなかった。
確かに前半の流れはなんだか掴みづらくて。ラブコメとか観てるときのなんとも言えない居心地悪さだったけど。次第に物語は加速する。世界は集約する。この方法が描くべき地平へ。
これはどこかにありそうな、どこかで見たSFかもしれない。でも。なんだろう。狂っている。
常人と違うベクトルに振り切る狂気ではない。誰でも知っていることを、常人に簡単にはできない域まで突き詰めた、その先にある狂気か。
なんだろう。やっぱり愛かな。
さっきから自分の雑すぎる言葉のチョイスにイライラはしてるのだが。
なんというか、〇〇に対する気持ちとか、〇〇への思いとか、〇〇愛とか、そういう言葉の余分なところが削れていって、最後に残るもの。今の私の言葉では、愛、でしかない。
どっかで聞いた月並みな話だが、モノを機械を、ともに歩む者として扱うのって、日本人が得意で特異であるらしい。万物への愛、ヤオヨロズノカミ、なんて、吐きそうに月並みな表現しかできない自分には絶望だが。
この結実には意味があると、思う。この先があることを、そしてここが特異点であることを、期待してしまう。どこかに辿り着く流れ、そこに棹さす一歩。
その先を、勝手に待っている。