SELECTIVE SUN./『正体』

映画観た。

『正体』。

横浜流星。この人のことを知らない。

まず、知ってる人には、誠に見応えのある映画だったんじゃないかと思う。なにしろいろんな横浜流星が観れる。これ絶対楽しい。愉快とかそういう意味じゃなく、これは楽しめる。

私は知らない。でもこの映画は見応えあった。

生きる方法を模索する日々。手を変え品を変え。最終目標に近づく。困難な。針の穴を通すような、目的を。達成しようと。たゆまぬ努力。折れぬ、掠れぬ、意志。

ラストのカタルシスは素晴らしかった。ぐっと来た。

そして、つまり、故に。

そこからの、ヨルシカの『太陽』を。

少し違和感のあるものに感じた。

恐るべき混乱だ。

私は「ヨルシカを聴くために来ている」んだ。

それは言ってしまえば映画を観るには不誠実極まりない態度なわけで。それでも私にはそれだけが真実なわけで。ヨルシカのついでに日頃観ない邦画を観る、そのマッシュアップが心地よいわけで。

そこに違和感があるとは。

私は、

そう、繋がってほしかったのか。

映画のラスト、あのカタルシスと、ヨルシカの『太陽』は、繋がっていないように感じてしまった。それが残念に思えてしまった。

『太陽』は名曲だ。

そして『正体』も良い映画だった。

だが。

毒が足りない。滅びが足りないのだ。

そんなに綺麗なモノじゃない。生きることはそんなに綺麗じゃないんだ。ずっとそう、心が叫ぶ。

美しかった。その美しさに心打たれた。でも。綺麗すぎる。

悪は他人の中にしかない。その物語が、心打つ物語が。私を追い詰める。悪である私は。悪だと自覚する私は。沈黙して、断罪を待つのか。

それでいいのか。いや、それでいいんだ。それが正しい。正しい、それはなんだ。その迷いに、『太陽』が寄り添う…正解か?いや、違う。

何度でも言う。『正体』にはもっとふさわしいエンドロールがある。『太陽』にはもっとふさわしい映画がある。どちらも、いいのだ。

この感想が一般的なものかはわからない。エンドロールとそこに流れる曲、そこに重きを置く客など少数派。だが。

消費するしかできない人間が、劇場の隅で無礼で無為な感想を吐いている。良い映画だったのだ。この美しさには価値がある。

このザワザワを取っておく。勘違いしているのは私かもしれないのだ。時間を置いて、見直す。このザワザワだけが、糧なのかもしれない。