you will be there./窓ぎわのトットちゃん

「窓ぎわのトットちゃん」。本は読んでない。実家にあったな。

去年くらいに、映画化すると聞いて、いろいろ考えた。改めて、私徹子さん好きなんだなと思った。

大御所芸能人と言われるような方には、アプローチのしかたというか、惹かれかたがいっぱいあって。なんだかしょっちゅう見かけるなーくらいの方もいるけど。

私の場合、徹子さんの舞台を数回、観たことがある。もうけっこう前だけど。舞台上でもパワフルで、舞台上でも徹子さんは徹子さんで、なんというのか、客席ぜんぶを暖かくするような力を感じた。あれ以来、勝手に、少し近くに感じている。

だって彼女は日本初のテレビ女優「最初の13人」の1人で、おそらく最後の1人。もはやファンタジックですらある。

でもトットちゃんは読んでない。いや、うん、まだ読んでない。そういうとこだぞ私。

アニメ映画化ってどうなんだろうって思ってた。独特の絵柄。子役の声。なんだか不安。

観終わって、正直、不安の行き着く先は、まだ見えなかった。思ったより難しい。難しいというか、私程度では語る言葉がない。この子はこういう子で、こういう時代で、こういう出来事があって。それだけ。

それだけが、そこに現実で存在していたこと。(誇張や物語表現はあるのだろうが)それだけ。って気がした。

それだけ、が、私の好きな人をかたち作ったという事実だけ。

ただ、その事実をアニメ映画という表現に乗せるための圧倒的に変態的な努力を感じた気がした。なんというか、この子がいずれおとなになってあの彼女に、今の彼女になることが、ごくこく当然のことに思えたのだ。レベルの高さだけではない、そんな声、喋り方、そんな表情、そんな物語だと。きっと想い入れ過ぎなだけだけど。偏愛が創り出す共同幻想。もはや神降ろしに近い。表現の行き着く先、顕現。

とか。やっぱりなんだかファンタジックな気持ちで、嬉しくなってしまったのだ。