いまはもういないあたしへ/屋根裏のラジャー
『屋根裏のラジャー』を観てみた。
予感があった。これは私の物語かもしれない。
途中からずっと泣いていた。悲しくてしかたなかった。世界は残酷だった。空想が決して勝てないものとして描かれる、現実。
一見「存在すること」を中心に物語は進んでいるようで、逆説的に、丁寧に、繰り返し描かれているのは「存在しないこと、存在が失われること」だ。他の人には見えない友達。見えないものは存在しない。無力なものには存在の価値がない。忘れられることは消えること。思い出せないことは、はじめからなかったこと。
誓い。
敢えて誓わなくてはならないのは、そうしなければ忘れてしまう自分を、消えてしまう自分を、知っているから。
子供向けの話じゃなかった。主人公は少年でも少女でもなかった。
とりとめもなく思い馳せる。
たとえば、海辺に住む魔法の竜。遊びに来ない友達を待ち侘びて、今は洞穴で眠っている。
たとえば、哲学という名の少女。誰かの物語の登場人物を務め終えて、今は自分のために旅をしている。
たとえば、虚無に呑み込まれた幻想の国。終わりの虚無の中で、今も始まりの名前を待っている。
ああ、とりとめなさすぎ。
なんだか映画興行的には苦戦してるらしい。いい映画だと思うんだけどなあ。