名前をつけてやりゅ。
名前は祈りであり呪いである、とは誰の言葉だったか。
とあるものに名前がついていると最近知って、ちょっとびびってる。
えーとあれだ、あの青年向けの、男性向けの、いわゆるエ○漫画で出てくる言葉遣いというかセリフ回しというか文章表現というか表記法というか、そういうあれ。
こういうやつ、って例出そうと思ったけどマジ赤面しちゃって書けぬ。自分で書くと破壊力すごいなこれ。純情かよ私。
「みさくら語」というらしい。
驚くべきことに(?)ジャンルの総体や作品群などではなく、ひとりの漫画家さんの名を冠している、というのだ。
ド直球の本家作品を読ませていただいたことはない。なのにエ○くないはずの漫画でオマージュ(笑)されてたりサブカル系のweb記事でインスパイア(笑)されてたりして。いつのまにかなんだかそういうものとして私の中にいらっしゃって。
正直言うと私、個人的にひっそりとザワついていたのだ。よくここまで突っ走った表現できるものだなと。とんがってんなと。ふーんえっちじゃんと。ある種の畏敬の念すら持っていることが今では否定できない。
それに、名前がついているのだ。
(ちゃんとオタクな方々には一般教養なのだろう、なにを今更お恥ずかしいことなのだが)
そもそも私は現象だの概念だのに名前がついてるのが大好物なのだ。関係ない振動でも「あ、スマホ鳴った?」てなる現代人のアレ、「ファントムヴァイブレーションシンドローム」って名付けられてるらしいよ!
かくて「みさくら語」も私の中で「ああいうので出てくるなんかああいうやつ」から「みさくら語」になってしまった。たぶん死ぬまで忘れない。これは呪いであり、そして祈りである。しゅごい。