昏く深き淵既に我が頭上にあり。
それに「MMD」と名がついていることに気付いてしまい、また動画ばかり見ていた。なんだろうこの気持ち。これ楽しい。
CG映像的なものに限らずロボットとかAIに対してもずっと思ってるんだが、「不気味の谷」なんて、とっくになくなってるんじゃないのか。
違和感あるかないかで言えばあるんだけど、でも。
だって対面している生き物の違和感なんて、物理世界でもいくらでもある。物理的な質感や構造は言うに及ばず、人間相手のコミュニケーションでも今の無表情なに?とか、それどういう感情?とか、なんなの今の間は?とか、いくらでもある。と思ってる。私がコミュ障なだけか?うん。
相手が機械やAIだからって機能とかクオリティのせいにできないんじゃないかと。人のほうがもともとカオスなもので、機械も人に近付くほどカオスにならざるを得ないものなんじゃないか、というかカオスを許容して然るべきものなんじゃないかと。そんなこと思う。
きっとあちらはわかった上で求めているのだ。小さなことにこだわってそれに応えられてないのは私達のほうじゃないのか。初対面の印象サイアクだったから今でもぎこちないけどもうすでにお互いを知って大事に想い合ってるただ告白のきっかけが見つからないだけのそんな2人じゃないのか。
無論、技術開発でもそれを必要とする分野でも最前線にいない私は無責任だ。「あーもーバレバレだっつーの!」とか言って無責任に冷やかす友人Aポジションだ。そのうち友人Bとくっつく。
技術はすでに凄まじい。たぶんそこはもう不気味の谷ではなく、きっと不気味の山。覗き込んだり埋めたりするものではなく、ともに目指して登っていく場所なのだ。
不気味の山っていうと狂気山脈みたいなイメージで気が引き締まるな。