是真、魔術的切開点機構!
なんだか久し振りに、「マジックカット君」と目が合った。
「こちら側のどこからでも切れます…マトモな人間なら、ですがネェ!」
世の中には2種類の人間がいる。
マジックカットで失敗した経験を声高に語る者と、黙して語らぬ者。
敢えて言おう、日本人の大人ならマジックカットでしくじったことのない者はいない。
それをマジックカットのせいにするかどうか。人間性とマジックカット愛が試される。私はマジックカット愛の人なのでマジックカットのせいにはしないし、主張はまずこうだ。
「ところでそれは本当に、マジックカットだったのかしらね?…本当に?」
うろ覚えだが「マジックカット」の名称表記、「こちら側のどこからでも切れます」の記述、「マジックカット君」マーク、この3つのうち最低どれか2つは書いてあるのが「本当のマジックカット」である。
「どこからでも切れます」しか書いてなかったりあまつさえ「マジカルカット」みたいなこと書いてあったらそれは当然マジックカットではない。
「まじかる快斗」みたいだな。
つまり類似品に注意であり、あなたが仇と恨む彼は実はマジックカットではなかったかもしれないのだ。だからどうか落ち着いて。
まあ実際ちゃんとマジックカットだとしても誤爆はあるわけで。結果開かないとか開けるのに道具が必要とかに比べたら便利だろお互い気をつけて付き合っていこうよ、てなもんである。
あと好かない人には「たかが切れ込みに大仰な名前だな(笑)」って側面もあるだろうか。「マジックカット?贅沢な名だね…お前は今日から『マッ』だよ!」みたいなな。
…すでにお気づきだろうが私は、なぜだろうマジックカット大好きっ子なのだ。日本人の職人気質が生み出した技術の粋、みたいなイメージを勝手に持っている。いかにもな誕生秘話とか、なんか盛り過ぎ感ある企業秘密とかに、なぜだかシビれる憧れる。
憧れは理解から最も遠い感情らしいので、あまり盲目にならないよう気をつけてる。好きだからって依存してのめり込みすぎてはいけない。なにしろマジックカット君は私に言うのだ。
「こちら側のどこからでも(縁を)切れます」って。