ありのままでそのままで。
映画「アナと雪の女王」から「let it go」。名曲。映画のシーンも素晴らしい。曲のテンションとリンクして氷の城がぐいーんってなるところほんとにワクワクする。ぐいーん。
でもいろいろ考えてしまう。エルサの心はどこにあるのか。エルサのありのままって何なのだろう?
前に、日本と西洋では捉え方が違うかもしれないという考察を読んで、なるほどと思った。
日本人は役割演技が強くて、社会とかコミュニティの中で本当の自分を出せずに生きている。それを開放してありのままの自分で生きていく、という前向きな気持ちをlet it goに込めることができる。
それは西洋の人にとってもある程度は同じなのだろうけど。一方でキリスト教的な考え方するなら、人間個々は原罪を持つ邪悪な者であり、宗教の教えや科学の知恵、人間同士の繋がりによってその邪悪さを封じこめて、善良な社会を築いてきているのだ。
(うまく言えてるかわからない…個人の解釈です、性善説と性悪説みたいな感じで、どっちが良いとかはない、つもり)
そこからの開放はつまり、ありのままの邪悪な自分をさらけ出す、ということ。イメージ的には「俺は人間をやめるぞJOJOォー!」である。
エルサはひとりの人間でありたいと、人間の繋がりの中で生きたいと願ってきた。しかしそれは叶わず、彼女は自分が他人と違うことを思い知らされ、コミュニティを追われたのだ。そして自分には普通の人間にはない力がある。
「よろしい、ならば戦争だ。」似合うのはそんなセリフじゃないだろうか?
だからあのシーンのエルサの吹っ切れた感には危うさを覚える。ぶん投げられたティアラかわいそう。前向きな開放感だけではない、あれは怪物になる覚悟を決めた人間の笑みなのだと想像してしまう。彼女の悲しみは、孤独は、そして怒りは?
そんなふうに考え過ぎてしまうが、実際のところエルサは山奥で1人静かに暮らしたかっただけなのかもしれない。それなのにうっかり国が雪と氷に覆われようとしているとアナに聞かされてびっくりしてる。
どちらかといえばドジっ娘じゃないか。