残された左側の心臓を
その昔、といっても十分いい歳になってからだが母親に、知人に対して「この子はね、自分探し中なのよ」って紹介されたことがあり、冗談口とわかっていても立ち直れないくらい凹んだことがあった。
「自分探し」って最初に言ったやつを許さない。
「自分探し」この言葉と概念には何か人を酔わせる甘美なものがある。これは使いたい。そして言葉は多くの人間に使われるほど意味を変容させたり拡大されたりする。だから悪いのは最初に言った人ではないのかもしれない。だがやはりそいつが恨めしい。
違うと思うのだ。「自分探し」ではないのだ。
「どこかにある本当の自分を探しに行く」というのは尊い行為に思えてしまう。そりゃみんな探してるよ。なかなか見つからないよ。
でも、自分を探しに行っちゃいけないと思うんだ。自分は自分で持ってなきゃ。
好きな漫画家さんが、好きな作品との出会いについて「自分の内面を耕す行為」と表現していた。これだと思う。
自分は自分、畑と種は最初から自分の中だ。
耕し、肥料を与え、育てていくために、私は外に向かう。言うなれば「自分育て」だ。
語呂が良くないんだよなー。