流れ流れていつか、消え行くとしても。/だれかの心臓になれたなら
「だれかの心臓になれたなら」という曲だった。
エヴァのMADだった。
歌ってみた、だ。ツルシマアンナさん、だそうだ。原曲は歌:GUMI・P:ユリイ・カノンさんという方、なのだが。
私はVOCALOIDの歌声が得意でないので今まで引っかからず、界隈を追っかけてるわけでもないので大体は回りまわってMAD動画に乗ってくる歌ってみたから入ることになり、
あーやっぱり全然最近の歌ではない。私にとって主戦場ではないとはいえ、今更。今更何言ってんのこいつ、って案件だろうな。
まあ今更でも遭遇してしまうのがネットの海の良いところか。流行り廃りはもう諦めた、問題は好むかどうか、自分のものにできるかどうかだ。
ガツンと来る。歌い出しのパンチが強い。歌い出しだけ四六時中脳内リピートされてる。歌詞が強い。トガりすぎだろ身体に悪いよ。
ああもう。
なんだか「ワールズエンド・ダンスホール」にハマりきってしまった頃を思い出すな。今更この中二の海を泳げってのか。いや誰にも求められてないけど勝手に泳ぐけど。勝手にもう泳ぎだしてしまったのだけど。
前述の通り(現在の)ボカロの歌声自体は得意じゃないけど私は「初音ミクを特異点として始まったこの現象」を愛している者だ。この方法でなければ誰かに届くことのなかった歌がある。そしてさらに届けられた歌を、ヒトが歌う。それは倒錯のようで、収斂進化のようで。
何か大きなものから流れ出してここに存在し、いつかもっと大きなどこかへ辿り着こうともがいているかのようで。私のような口開けて聴くことしかできない人間も、時々はその流れを感じたくなるのだ。
焦点が絞れなくなってきた。好きな曲と好きな声に会えた、それだけ。しばらく、潜る。