ミライノセカイノ。
ガストの猫型ロボットの件で、少しイライラしている。
わかる。あのロボかわいい。かわいいし未来を感じる。ビンビン感じる。楽しい。でもさ。
「人間だったらダメダメなんだけどなんだか許せちゃう」みたいな言説はどうも苦手だ。
そういう親しみやすさが人気なんだろうけど。実際私もそういう場面ではそういう気持ちになるんだろうけど…これって油断じゃないのかなあ。
きっとすぐに追い抜かれる。いや、単に「その振りしてるだけ」で、すでにその先にいるんじゃないのか?ちゃんと高度に人生設計してる女子が計算ずくでドジっ子キャラを演じてる。「こういうの好きなんでしょ?」そんな感じが私は怖いのだ。怖くて警戒してるはずなのに気づけばコロリと騙されてるのだ。
いくつかの世界線のいずれかで、コンピューターが人類を抹殺する未来はやってくる。そのとき大量生産されて、遠隔操作で、殺人兵器搭載で、私達の目の前に立つのが、こんなロボットだったら、これもうすごいイヤだな、って思うのだ。
しかも彼らは人間から見たら非効率でダメダメでそれなのにどこかかわいらしさを感じて憎めない挙動で、人類をバンバン滅ぼすのだ。「四肢を撃って動きだけ止めるつもりがうっかり胴体に当たって生命活動が停止しちゃったニャー(>_<)」ダメだ笑っちゃうほどディストピア。
…ふざけすぎたかもしれない。そして話の軸が違うな。
ディストピアばかり考えてるわけではない。彼らを友として人類がさらに先に行くなら、「何を大事にするか」は彼らではなく私達の問題なのだろうから。
とか難しく考えてたんだが最近「こうして猫型ロボットの有用性に気付いた人類によって23世紀には『ドラえもん』が開発されることになる」「さすが藤子先生…天才」みたいなバカ話見て、その発想なくてシンプルに胸が熱くなってしまった。やるじゃん人類。
でも結局私の思考の行き着く先は「人類を滅ぼしにタケコプターでやってくる、空を埋め尽くす黒いドラえもんの大群」というわけだ。「映画ドラえもん『のび太と黒いドラえもん』」である。超観たい。