未知半ば。/midjourney
midjourneyについて考えている。
半年前にwomboについて書いた。まさに日進月歩。
私は不安だ。
純粋な技術は発展し続ける。
それで、君たちは?って聞かれてる気分になる。
AIは私達の生活を豊かにしてくれるらしい。しかし、私達って、誰のことなんだ?
戦争をする人間にも理由はある。人を殺す人間にも理由はある。他者から見て理由にならなくても、誰かにとって理由なら、その誰かにとって成すべきことなら。その誰かをマイノリティだからと切り捨てない、それが人間の多様性、なのだと思う。
正当化はしない、けれど存在しているなら存在を否定はできない。誰かにとっての不幸が存在しないように、そもそも発生しないように、世の中の仕組みを作っていく。「まどマギ」みたいな闘いを私達はしている、はずだ。
AIは力を貸してくれる。しかし原因を探り解決していくのは人間だ。人間でないものに解決を委ねれば、十中八九人類は滅びるし、運が良くてペットか家畜の扱いだろう。
ああ、ペットという言葉は使いにくい。それが生き物として最大の幸福であるという考え方もありなんだろうな。
私は諦めたくない。諦めたくないのはただの感情で、技術は足りない。
私が幸福で、目の前にいる人が幸福で、目に映らない人も皆幸福で、互いが正しく競い合い、その結果としての富に満足できる。そんな世界を、そんな哲学を、私はまだ知らない。
私はそんな世界の一部だ。人間が作った社会の一部として無力で邪悪な私は存在する。
そんな私を幸福にするために、AIは力を貸してくれるのか。力を貸りるのは、私にとって正しいことなのか?
生きている間に答えが出る気がしない。私は不安だ。
midjourneyは私のそんな気持ちの表面を撫でる。絵を描くこと、描いた絵を絵だと認識すること、すべて人間のことだ。midjourneyはmidjourneyの絵を描くだけ。そこに異星人があれこれ注文をつけて、自分たちの感覚に合った絵が、人間の絵に見えるものができたと騒いでいるだけ。血反吐吐きながら生身で絵を描いて商売している人達には切実な問題かもしれないが、私にとってはそれだけだ。その上で私の感情は、絵に染み付いた血反吐をこそ評価する。したいだけだ。それだけだ。こんな濁った眼で、できるはずもないのに。
知識も、哲学も、センスも、はなはだ未熟。シンギュラリティと呼ばれるもの、正確には想像できないが、きっとそれが来たら一瞬で消し飛ぶだけの魂。
それが私の魂なんだから、仕方ないんだ。