盆voyage。
「覆水盆に返らず」ということわざがあり、
日本では、英語の似た言い回しとして “It is no use crying over spilt milk."(こぼしたミルクを嘆いてもどうにもならない)を学校で習う。
“It is no use 〜ing “の構文が特徴的なのか「水→ミルク」の変換が印象的なのか。覚えてる人が多い。
そして誤訳ジョークとでもいうのか、「覆水盆に返らず」を英語でと出題されて"Mr.Fukusui did not go home at summer vacation."(フクスイさんは夏休み-お盆に実家に帰らなかった)と答えた、という話がある。
ただの笑い話だ。誰がうまいこと言えと、である。故事の「盆」は日本のお盆ではなくボウル状の容れものなわけだしなんというか奇跡のコラボ感ある。
…しかし。少しモヤモヤするのだ。おかしなことだが私の中で意味が合体してしまっていて、私の中のフクスイさんは「お盆に帰らなかった」ことを「後悔している」。
フクスイさんは今年のお盆に実家に帰らなかったことを後悔しているが、もうどうにもならない。
つまり、今年は親戚の初盆だったがコロナの影響を鑑みて帰省しなかった私が、フクスイさんである。
話がじわじわと重くなる。別に取り返しのつかない事態がおこったとかではないのだが。そもそもお盆に帰省したことはほとんどないのだが今年は初盆だし帰ろうかなって、思っていたものだから。
ちなみに諸説ありだが「覆水盆に返らず」はもともと中国の故事の中で「一度別れてしまった夫婦は都合よく復縁などできない」ことの例えであったらしい。このイメージも合体させるとより状況がせつなくなりそうだ。
ネットの英語スタディ系の記事で「覆水盆に返らず」は取り返しつかない結末を示してネガティブだが、"It is no use crying over spilt milk"は「また注げばいい」ニュアンスを含むのでポジティブ、みたいなこと言ってた。いや英語のほうもそこまで言ってないだろとは思ったが、まあ、そうか。
水もミルクも、また注げばいいのだ。生きていくなら、また注がなくてはならないのだな。