“Don’t disappoint me, Please.”

ひさしぶりに「絶望のパスタ」を作った。

最低限の材料しか使わないペペロンチーノ。ニンニクと唐辛子とオリーブオイル。あと塩胡椒のみ。絶望的に食材がない状態で作る、という意味でこのレシピがイタリアでは「絶望のパスタ」と呼ばれる、みたいな話をどこかで聞いてから気に入っている。出典不明。

トマトとかベーコンとか、ないのだ。バジルもチーズもアンチョビも挽肉も生ハムも、ないのだ。絶望だ。

イタリアのちゃんとしたレストランでは単体ペペロンチーノなんて出さないのだ。絶望だ。こんなに簡単でおいしいのに。

手軽に絶望して自己愛に浸りたくなったときには、これを作る。

食べながら考える。日本食で言ったらどういう絶望になるのだろこれ。

「米と味噌ありゃなんとかなる(泣)」みたいなセリフがどっかにあった気がする。白飯と味噌汁、いや味噌汁も無理だから白飯に味噌直のっけか。焼き味噌おにぎりにできれば万々歳、うまくできれば美味しそうだけど、晩御飯それオンリーあと水。

…んー、そんなには絶望しないかもな。

白いごはんが炊けてるだけでだいぶ希望な気がする。前述の絶望のパスタも実際のところご馳走だ。現代日本人ならもっと絶望的な状況はある。

カップラーメンしかない、みたいな状況。小銭があるときに箱買いしておいたカップ麺を一個ずつ消費し続ける忍耐の日々。これは来るものがあるかもしれない。身体にも悪そう。

うろ覚えだが「銀河鉄道999」のどこかの回で、鉄郎が無人の星のインスタントラーメンだけがパンパンに積み上げられた家に取り残されて、ラーメン作って雪平鍋で直接食べながら、死ぬまでここでラーメン食って過ごすのか…と途方に暮れてる、ってシーンがあって、あのラーメンうまそうだったしシチュエーション怖すぎた。

でもたぶん、現代日本の絶望はそこではないのだろうな。3日食べなくても死なないが携帯が止まったら場合によっては1日で死ぬって人の方が多いんじゃないだろうか。私もたぶんそうだ。私は過去、前準備なしでコンビニのwifiだけで過ごすハメになった数日間があったがあのときはほぼ死んでた。社会的にも死ぬがそれより先に心が死ぬのでオススメしない。

今となれば笑い話、過去を振り返れば絶望もそれなりに味がある、か。絶望の種はそこら中に転がっているが、絶望のパスタを自らの意思で選択できる私の目には今は映らない。禍福は糾える縄の如し。生きろ。ボーノ。