われても末に逢わむとぞ想ふ。/殺生石
殺生石が割れたらしい。
九尾の狐が化けたと伝えられる石が、割れたのだ。
石だし、自然現象だし、以前からヒビ入ってたらしいから、必然的にいつかは割れたんだろうけど。今か。世界中の民が空気感染の疫病(殺生石は「毒」だが)に関心あるこの時節に。
私的に言えば、私が生きている間に起こるとは。封印から650年ぞ?
(あ、「封印」ではないのか)
「石に姿を変え、長きにわたり回復の時を待ち続けた九尾の狐が、とうとう力を取り戻して復活」ルート。
「最後の力で永年人に仇なす石と化した九尾の狐が、ついに力を果たし砂礫に帰る時が来た」ルート。
「善なる魂に目覚めた九尾の狐が、この世の病魔を吸い尽くし人の身代りになって砕けた」ルート。
ああダメだ無限に思いつく。不謹慎だし不敬だし月並だしヘタクソなこと言うのはやめておきたいが妄想が止まらない。どれ一つとっても胸に来る。
きっとただの自然現象だ。神に祀ったのも人間、畏れ敬い続けたのも人間、割れて騒ぐのも人間。そして私もただの人間だ。月並な想像力と好奇心を持って、世界に対峙する。
好奇心という意味では、単純にその瞬間を見てみたかったというのもある。そこそこの大岩が真っ二つになって、注連縄引きちぎりながら(?)割れ転がる。「ビシッ!!ガラガラ…」なのだろうか。「フッ…ゴトリ」なのだろうか。世界のどこかで響く聴く者のない音。それらもきっと、当たり前で価値など存在しないものなのだろうけど。
修復されるのだろうか。私は割と最近見に行ってきたのだ。どんな形になるにせよ「一回割れた殺生石」を再び見るまでは死ねない。
あの賽の河原が、私を手招きしている。