自家中毒はじめました。/リコリス・リコイル
「リコリス・リコイル」を観ている。面白い。
絵がきれい。女の子かわいい。アクションがほんとに美しい。でも。故に。
ずっとモヤモヤしてる。このストーリーは私には向かないのかもしれない。
最初、これは「償い」の物語なのかと思ったのだ。過去の自分と向かい合う物語。
だから「るろうに剣心」や「ヴァイオレットエヴァーガーデン」が頭をかすめた。他にもまあいっぱいあるな、それは普遍的なテーマだ。
だって。誰にでも、消してしまいたい、やり直したい、償いたい、過去はあるから。それに向き合う力を、姿勢を、意味を、探すためのヒントを、他人の中に、物語の中に探すのだ。
その思いで「リコリス・リコイル」を観ていた。途中で、まずいなこれは違うかも、と思った。
これは過去に引きずられる私の物語ではなかった。現在を生きる、強者の物語だ。
現在を、強さの故に自由に生き、強さの故に世界に呪われる才能すら持ち、なお運命と、世界と、自分自身と闘うことのできる、特別な誰かの物語。だから私には。
だって私は。凡人の私は、弱い私は、殺すしかないのだ。他人を殺してしか手に入れられない薄汚れた幸せで、間に合わせの平和な人生を過ごす側なのだ。きっと彼女のようにも彼のようにも、生きられない。
これは嫉妬だ。身の程知らずの嫉妬。おそらくこの物語の見方としては正しくないというか、無意味というか、非効率だ。黒い感情が止まらない。
そこに陥っている自分に気付かされるというのも、クオリティと解像度の高さゆえでは、あるのか。ううむ。
物語は佳境。実際ハラハラドキドキではある。私は唇を噛んで震えながら物語の行く末を見ている。願わくば、こんな私にもいくばくかでも、この物語から掬い取れるものを探して。