so far away./花の詩女 ゴティックメード
『花の詩女 ゴティックメード』という映画を観に行った。
とりあえずなんかのネットニュースで見かけて、とりあえず観れるならこれ観とくべきじゃないかな、と思って、とりあえず、観てきた。
実際よくわからないのだ。『ファイブスター物語』のなんかなんだろうと思った。でもなぜ今?10日間限定?なぜ??
『ファイブスター物語』は、近しい人が好きだったので、存在は知ってる。懐かしい。昔ざっくり読んでる。でもよく覚えてないし、おそらく大事なことはわかっていない。話が壮大すぎて持て余した感じで終わってる。私は外様なのだ。それでも。観れるなら、観とくべきだろとは、思った。なにせ懐かしいのだ。
そんなよくわからないノリのまま観に行ってしまった。こんな中途半端なやつが観に行ってよいものだろうかと思っていたが、実際とても面白かった。
やっぱり永野さんは狂っている(褒めている)。というかこの映画作った人たち全員狂ってるとしか思えない。あんなメカニック反則だろ。デザインも動きも音も色も光も、一個も理由がわかんない。わかんないのに「アリ」なのだ。どんなコンセンサスとったらこれ完成させて劇場公開できるんだよ。
そんな気持ちで震えながら観ていたはずが、いつの間にやらストーリーに引き込まれている。世界観らやメカニックやらに押し流されつつ振り返ってみれば、シンプルに骨太なボーイ・ミーツ・ガール。気付かぬうちに共感し高揚し、祈っていたのだ。二人の出会いに。それがもたらす世界の変化に。
そして観終わって、一息ついて、思った。
いやモーターヘッドどこいってん。
おそらく付け焼き刃であれこれ調べたところでどうにもなるまいと、ほかのいろんなことには諦めがついたのだが。なんというか、そこはちょっとほっとけなかったので結局調べた。モーターヘッドどこいってん。
ふむ…なるほど。
つまり状況はわかったが理由はわからない。ほんとにわけがわからないよ。なんなのこの世界観。
唯一わかったことは、この映画は私が思っていたような「懐古」の意味合いを、ひと欠片も持ち合わせていない、ということだ。ここからまだ見ぬ先へ進む、そのためのゴティックメードだったのだ。
あの人はこの映画を観たのだろうか。どんな感想を抱いただろうか。今なら懐かしさではない感情で、語り合えるだろうか。
きっと私は、彼と彼の作品のファンではない。けれど、その宇宙は確かに存在していて、それは過去ではなくて、今この瞬間も広がり続けているのだと、夜空を見上げるように、ときどき思い出すのかもしれない。