ナイフとケダモノ。/ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ

「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」を読み直した。滝本竜彦さんの小説。

2001年。21年前の小説だ。21年前。ああ。

そういえばこの作品を知ったのはラジオドラマだ。「青春アドベンチャー」。こっちが2002年か。このラジオドラマ番組の存在自体が、脳に直撃であのころの記憶を呼ぶ。

あの日、ラジオから流れた、

「…青春アドベンチャー 『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』」

っていうタイトルコールの響きでいっぺんに心を持っていかれた。音声の強さ。青春アドベンチャーの中でも印象に残ってる作品のひとつだ。

ボーイ・ミーツ・ガール。

熱い。ぜんぜん熱くないのに、熱い。このモノローグ。ちゃんとカッコ悪くて、なぜかちゃんとカッコいい。今読んでも破綻なく古臭くなく。この感情というか感傷のようなものは今日でも、少なくとも日本に生きてる少年少女には多少なり共感できるんじゃなかろうか。これは青春の物語で、大袈裟に言えば現代の神話だ。

世界の閉塞。ままならない人生。それでも。

わかりやすい悪者などいないこの世界で。複雑で複雑でうんざりするこの人生で。それでも。

見てろよ、って。ふざけてんじゃねえぞ、って。歯を食いしばって、言ってやるのだ。

 

そして、今読み返すと、下宿のおねえさんとか担任の先生とか、大人の脇役の味もいいのだ。こちとらそっちに興味がいく歳になってんだよなあ。作者がこれ書いたのは20歳そこそこだってのに。不思議。

読後のソワソワで勢いあまって観てない映画版の情報を拾ってしまい、予期せぬ情報を得て、少しへこむ。この先はもう見れない俳優さんのことだ。世界は本当に、本当にままならない。

いや、これも符丁なのかもしれないな。映画版も観てみようと思う。きっとたぶん、今しかない。

「物語は、人生が一度しかないことへの反抗である。」出典は忘れてるが、好きな言葉だ。物語を愛して残すこともまた、この理不尽な世界への反抗、なのかもしれない。